病気ですら私の魅力にしてみせる

難病【高安動脈炎】の私。妊娠 出産 子育て 妊活 日々の出来事を書いています。

難病【高安動脈炎】こうして治療がスタートしました

高安動脈炎という診断が出たので、入院して治療が開始されました。
朝、夕に内科医が病室に来てくれて診察してくれたり、その時々に出来る検査をしていきました。


❁最初に飲んだ薬の内容はこちら
プレドニン30mg
エディロール
バイアスピリン
バクタ配合錠


❁すぐに感じた体調の変化
約2ヶ月近く出ていた熱が出なくなった
血管炎のようなチクチクした痛みがなくなった
咳が出なくなった
身体が怠かったのが、力が入るようになった


入院中、他にしたことはこちら
口腔外科
プレドニンの副作用に骨粗鬆症があげられるため、骨粗鬆症を予防するための薬(エディロール)を飲みます。
ただ、この薬は服薬中に歯の治療が出来なくなるため、服薬開始前に親知らずがあるなら抜いてしまおうというお話をされました。
口腔内をレントゲンで撮り、上下1本ずつ抜歯することになりました。下の歯なんて歯茎に埋まってたのを切って取り出しました。
麻酔をしてくれたのでさほど痛くはありませんでしたが、入院早々、こんなことまでしなきゃいけないんだという気持ちでした。


婦人科
体調が悪くなり始めてから、28日周期でちゃんときていた生理が来なくなりました。
この時点で前回の生理から40日目。
内診してもらったら、子宮内膜が厚くなってるからもうすぐ生理がきそうですと言われました。
数日後に無事に生理になりました。

 

入院期間は2週間で退院することが出来ました。
私にとっては人生初めての入院でした。
他人とカーテンしか仕切りのない部屋で生活することや、夜21時には部屋の電気が消えることなど、普段とは違う生活から気持ちが休まる時はなかったように思います。
睡眠薬を処方してもらい、無理やり眠る日々でした。
また入院中に26歳の誕生日があり、その日だけ外出許可をもらって家族にお祝いをしてもらいました。
来年は今より元気でいたいと祈ったこの誕生日は一生忘れません。
幸い、今に至るまでに病気で入院したのはこの時だけです。これから治療を開始される方、入院される方の参考になれば嬉しいです。

難病【高安動脈炎】と告知された私。その時家族は…

私が難病「高安動脈炎」と診断され、医師に告げられた時の様子です。
また、病院に1人で行っていた時に告知されたので、家族に病名を伝えたのは私の口からでした。
家族や自分に近い人間にもし「病気」「難病」だと伝えられたら皆さんはどんな反応をするでしょうか。どんな言葉をかけますか?
病気だと告知された当事者からの素直な気持ちを書きました。


❁告知された日
血液検査やPET-CTの結果が出揃い、診察室に呼ばれて入ると医師は私に1枚の紙を渡してきました。そこには手書きの文字が並び、でかでかと「高安動脈炎」と書かれていました。
他には「血管が炎症してしまう病気」「若い女性に多い」と書かれていたように記憶しています。
わざわざ紙に書いて渡してくれたのは、きっと初めて聞いたであろう聞きなれない病名だったからだと思います。
続いて病気の説明が始まりました。病気が落ち着いたら普通の人と同じ生活が出来るんだよと前向きに闘病生活をスタート出来るような言葉をかけてくれました。
そして今後、プレドニンステロイド)での治療が始まり、日々体調の変化を見たいので入院しましょうという話になりました。
意外にも渡された紙にも、医師からの説明にも、難病という言葉は出てきませんでした。


❁私が悲しいと感じた家族の反応
やはり病気になって一番辛いのは病気になった本人です。次々と起こる体調の変化とこの先の不安でいっぱいで、周りの人の気持ちを考える余裕なんてありませんでした。
病名を伝えた日。母に「健康な身体に産んであげられなくてごめんね。」というメールを貰いました。
私はそんなこと1ミリも思っていなかったし、母にそんな言葉を言わせてしまったことの方がショックでたまりませんでした。
病気になったことなんて誰のせいでもないんです。誰も悪くないんです。


❁私が嬉しい、前向きになれた家族の反応
父が最初に言った言葉がずっと忘れられません。まさかの「カッコイイ」でした。
日本に約6000人しかいない希少難病に娘がなったことに対しての言葉でした。「すごい確率で当たっちゃったね‼︎」みたいなことが言いたかったんでしょう。
正直、不謹慎極まりないです。でもこの父の明るさや病気になってしまったことを深刻に捉えすぎない態度が、救いようのないほど暗かった私の気持ちを和らげてくれたように思います。決して父は病気になったことに対して軽く考えていたわけではありません。


夫は「どんな形でも生きていてくれたらそれでいい」と言ってくれました。
結婚式を終えて妊娠も考えていた時期だっただけに申し訳なかったです。
闘病中、病気になった人が一度は思うであろう、「悔しい」「情けない」「なんで私なの?」という気持ちを私も一通り感じてきたけれど、この言葉がその時々で私を支えてくれています。


そして母も「お母さんが絶対治してあげるから大丈夫。」という言葉をくれました。
私と同じくらい、もしくは私以上に病気に向き合おうとしてくれて嬉しかったです。実際、私が入院中に父と母が高安動脈炎に詳しい医師を必死で探してくれました。


今振り返ってみても、自分1人で病気を受け止めることは出来ませんでした。

病気になった人の家族も、病気を受け止め、理解し、見守ってくれているだけで病気になった人は救われているはずです。

難病【高安動脈炎】私が診断されるまで

私が「高安動脈炎」と診断されるまでの経緯です。

今この病気を疑われていたりする方に参考になったり、同病者の方にはこんな症状あったと共感してもらえると思います。


❁「高安動脈炎」はどんな病気?
膠原病の一種で国が難病に指定している病気です。
難病情報センター(http://www.nanbyou.or.jp/entry/141)によると

「高安動脈炎は大動脈やそこから分かれている

大きな血管に炎症が生じ、血管が搾取したり

閉塞したりして、脳、心臓、腎臓といった

重要な臓器に障害を与えたり、

手足が疲れやすくなったりする原因不明の

血管炎です。炎症が生じた血管の部位によって

様々な症状がでます。」とあります。


❁私が感じた身体の不調(25歳1月〜3月)
・熱
夕方になる毎日と言っていいほど

熱が出ていました。大体38度前後でしたが、

39度近く出ていたこともありました。
・咳

会話していても辛くなってしまうくらい

咳も毎日出ていました。
・胸の辺りが熱くなる
特に疲れが溜まったりした時に胸の辺りが

熱くなっていました。炭酸を飲んだら喉や胸が

カーッとすると思いますが、それが胸の辺りで

ずっと続いている状態です。
・体重減少
元々痩せ型で10年近く変わっていなかった体重が

4kgも減っていました。
・生理が止まる
生理周期は乱れることはなかったですが、

この時期はパタリと来なくなりました。


❁はじめに頼ったのは個人病院
病院に初めて行ったのは1月でした。
インフルをはじめとする

感染症が流行っている時期だったので、

大きな病院ではなく開業医がやっている

個人病院を選びました。
血液検査をしたらこの時点でCRP12mg/dL。(CRPとは体内で炎症が起きている時に現れる

数字です。基準値は0.3mg/dL以下。)
ありとあらゆる抗生剤を試しましたが、

CRPが下がることはなく体調も良くならない為、

総合病院に移ることになりました。


❁総合病院へ転院
この時点で2月。
ここでも血液検査を受けましたが、

CRPが相変わらず高い状態でした。
私が訴える身体の不調から

高安動脈炎ではないかと医師が考え、

PET-CTという検査を受け病名が確定しました。

プレドニンステロイド)をはじめとする

服薬での治療がスタートし、

2週間の入院生活を送りました。


❁「高安動脈炎」と診断された時の気持ち
私は身体の不調を感じるようになってから

高安動脈炎と診断されるまで、

約3ヶ月かかりました。

たった3ヶ月ですが、

具合が悪い中での通院や多くの検査、

そして自分の身体なのに思い通りにいかないことで

心身ともに疲れ切っていました。

自分が何に侵されているのかわからない状況は

本当に怖いです。

病名を告げられた時はショックでしたが、

やっと治療が出来る、

今より体調が良くなるかもしれないと思い

スタートラインに立てた喜びが大きかったです。


ここまでが私が高安動脈炎だと

診断されるまでの経緯です。

この病気は血管の炎症箇所によって

病状も違うので、私の経験を記事にしました。


もしあなたが「高安動脈炎」と

診断されていたとしたら、

先に病気になった私から言えることは1つだけです。

私は絶望的な病気ではないと思っています。

健康な人とほとんど変わらない生活を送っている人も

たくさん知っています。

病気にさえならなければと思ったり

辛いことがあっても、

きっと同病者の仲間は

気持ちをわかってくれるでしょう。

決して一人ではありません。
もし、私にも何か力になれることがあれば

お手伝いさせて下さい。

私がブログをやる理由

私がなぜブログを始めようと思ったか綴ったページです。
ブログを始めた後にも随時更新していきます。

自分の経験は誰かが探している情報だったりするのかもしれない
あなたは「高安動脈炎」という病気ですと言われたのは25歳の冬でした。
体調を崩してから約3ヶ月間、あれでもないこれでもないと病院で検査したり、薬を変えたりしてやっと辿り着いた病名でした。
それからネットで検索魔になった私。
何を調べて明確にしたいのか自分自身でもわからなかったけれど、難病という大きな怖いモノに精神的に潰されそうでした。
医者が教えてくれたような、どういう病気なのかや、どういう治療をしていくのかという情報はすぐに出てきました。
ーーー違う、探してるのはこういうのじゃない。
実際に病気の人の生の声が聞きたいと思ってブログを探し始めました。
いくつかの同病者の方のブログに出会い、その方々から様々なことを聞くことが出来ました。
やっと自分がこれから戦っていくもののイメージができ、病気と向き合えた瞬間でした。
あの頃の私のように病気のことを検索している方の力に少しでもなれたらと思っています。
 
❁専業主婦という肩書き
病気になってからというもの、自分の身体を一番に考え仕事を辞めました。
元々家事は好きな方だし、インドアなので家にいる時間は全然苦になりませんでした。
洗濯物が1日で気持ち良く乾いたら嬉しかったし、美味しくご飯が作れたら充実感も得られました。
当たり前にした家事でもありがとうと言ってくれる夫の存在もいます。
子どもが産まれてからは育児をしていればあっという間に1日が終わります。
でもいつからか、夫以外から評価してもらえない専業主婦に物足りなさを感じてきました。
そこで私がたどり着いたのが、不特定多数の方と関われるブログを開設することでした。
きっと心の奥にもっと誰かに認められたいという想いがあったんだと思います。
 
❁誰かの言葉、作品に共感することだけに物足りなさを感じた
このご時世、何かを見たい、感じたいとなればそのことに触れる手段はたくさんあります。
本、映画、SNS、テレビ、ネットなどなど。
良い言葉も作品もたくさん溢れています。
私は自分の想いを言葉にするのは決して得意ではないけれど、誰かの言葉や作品に共感するだけではなく、自分の言葉で思っていることや感じたことを伝えたくなりました。
そして、こうして向こうにいるあなたが見てくれたらとても幸せです。